始まりの日



四方を大国に囲まれた島国では、4つの大国のひとつの北国が
侵略をはじめ税をとり始めていた。税の取立ては海岸に近い町から始まり
内陸にあるこの小さな町にも、北国から税を要求する使者が来た。
特に特産物などない、小さなこの町では兵役が義務となった。
兵士の仕事は税の取立てや、同じ島国に住む人々との争いだった。
瞬く間に小さな町の雰囲気は変わってしまった。



冬が近づき冷えた晩、食事を終え仁が地下の自室に戻り
円が片づけをしていると戸をノックする音がする。
「こんな時間に誰かしら?」
円が不審に思いながら戸ののぞき穴をのぞくとそこには兄の友人であり
この小さな町の長である快が酒瓶を片手に立っていた。
快の他に人の気配がしないことを確認して、円は鍵を開け家の中に
快を招き入れると戸に鍵をかけた。
「用心深いな。まぁこんな時だから用心するに越したことはない。」
円は、いつの間にか戸の外を覗う事が当たり前になっている自分を思い
苦笑いを浮かべた。
「こんな時間に珍しいですね。兄さんなら自室にいますよ。」
「悪いな。邪魔するぞ。」
苦笑いを浮かべた円の頭を軽くなでると、快は仁の自室に向かった。
円は、兄の自室に向かった快の目の色がいつもと違うことに気付いていた。


冷えた地下室の中、小さなランプの火はその中で本を読む人物を
照らし出していた。
かすかな火の燃える音とページをめくる音が静かに続く。

「入るぞ。」
声と同時に戸を開ける音がする。
まるで訪ねて来る事が分かっていたかのように、本を読んでいた人物に
驚いた様子はない。
「…腹は決まったのか?」
仁はページをめくっていた手を休め、椅子に座ったまま快の目を見上げた。
「あぁ。」
快は揺るぎのない眼で短く答えた。その眼と声が仁にすべてを伝えていた。
「そうか。まぁお前ならそう選択すると思ったよ。」


快が町の長である父から、長を継いだのはついこの間のことだった。
北国からの要求があった時、快の父親は町の人たちを守るために要求を受け入れた。
しかし町の雰囲気は変わり、彼の愛した町の人々の笑顔は失われそうに
なっていた。そのことは彼を苦しめ、彼は自責の念により病に倒れた。
病床にあって、彼は町の人々に謝り続けた。

彼が病に倒れた事により、長を息子の快が継ぐことになった。
父親から長を継いだ快は迷っていた。
北国からの要求をこれからも受け入れるべきか、拒否するべきか。
町の人の笑顔を取り戻すためには、要求は拒否するべきだと思っていた。
しかし、北国は大国でありこんな小さな町を滅ぼすのは容易なはずだ。
要求を拒否すればどうなるのか想像が付かない訳がない。
今のまま要求を受け入れ続ければ、滅ぼされる事はないだろう。
町の人の笑顔と命、どちらも大切だと思うからこそ
迷いは深くなっていった。
そんな快の迷いを断ち切るきっかけを与えたのが
妻の紬と息子の結だった。

「あなたの思う様にして下さい。
あなたの背を見て結は育つでしょう…どうか自分の正しいと思う道を。
一緒になった時から覚悟はできています。」
いつもと同じように、寝ている結の顔を愛しそうに見つめながら
穏やかな声で紡がれる紬の言葉は快の心にゆっくりと沁みていった。

結だけでなく町の子供達すべてが親の背を見て育つ、今の自分達の背中を
子供達には見せられないと思った。
まして、自分達が今している事を子供達にさせるなど…。
…快の心は決まった。


地下室に少しの間沈黙が流れた。
仁は快に椅子を勧め杯を取りに椅子から立ち上がった。
「それで、拒否した後はどうするつもりなんだ。北国と正面から戦うつもりか?」
「町の奴らの命を背負う覚悟は出来た。」
「勝手なことを。どう考えても勝ち目がないな…。
町の人達を犬死にさせる事になるぞ。」
仁は右手に持った杯を快に差し出すと再び腰をかけた。
快は杯を受け取り、持ってきた酒を杯に注ぐと酒瓶を仁に差し出し言った。
「心を殺してる今の状態が続けば心は完全に死んじまう。
俺は、このまま町の奴らの心を見殺しにするような真似はしたくねぇ。
子供達にも心を殺さなきゃ生きていけねぇ、そんな町を残したくねぇんだよ。
世の中に絶対はねぇ。そう言ったのは仁、お前だろ。」
仁は黙って酒瓶を受け取ると杯に注ぎ一口飲んだ。
「確かに…世の中に絶対はない。だが確率は存在する。
お前の感情のために町の人々の命をわずかな可能性にかけるのか?
町の人達の意思はどうするつもりだ…要求を拒否したいなら
町の人達に命を預けてもらってからにするんだな。
それができなければ、犬死にの確立は更に上がる。」
話は終わったとばかりに、仁は酒瓶を快に押し付けると椅子から立ち上がり
戸の側に移動した。そして、戸を開けると顎をしゃくり快に出て行くよう促した。
「…邪魔したな。」
快は杯の酒を一気にあおり仁に杯を返すと部屋を出た。
1階に続く階段を上がると円が不安そうな面持ちで立っていた。
快は自分達のいつもと違う雰囲気を敏感に感じ取った円を安心させるよう
に少し表情を和らげた。
「鍵、ちゃんと閉めて置けよ。」
それだけ言うと快は帰って行った。円は快の出ていった後、戸に鍵を掛けると
仁の自室に向かった。



仁が快の去った階段を見ていると妹の円が駆け下りてきた。
「兄さん。宮様の様子がいつもと違ったんだけどなにかあったの?」
円は仁の前まで来ると尋ねた。
「今日はもう寝ろ」
仁はそれだけ言うと部屋の中に戻っていった。
「ちょっと、兄さん!」
円は仁の背中に強めに声をかけたが、彼が振り返ることはなかった。
納得がいかなかったが、これ以上声をかけても部屋から出てくる事が無いのは
分かっていたので円はしぶしぶ部屋に戻ることにした。


円が仁の部屋の前を去った後、仁は部屋の中でこの部屋を先ほど出て行った
快の様子を思い出していた。
「快らしい選択だ…。」
静まった部屋の中に仁の独り言が響く。

仁と円はこの町の生まれではなかった。幼いころは海のそばにある町の冬至で測量士の両親と
暮らしていたが、両親が事故に遭い兄弟二人きりになってしまった。
仁は父親の教育もあり計算が得意だったので宿屋で住み込みで働いていた。
宿屋の主人に頼み込み円も一緒に住まわせてもらっていたのだが
小遣い程度の収入では食べて行くのがやっとだった。
その後たまたま観光に来ていた快の両親が彼らを引き取ってくれた。
快とはそれ以来兄弟のように一緒に育った。
快の両親と快には恩がある。もちろん恩だけでなく自分の子供のように愛情を注いで
くれた彼らに家族の情を持っている。

今のこの町に心を痛めているのは仁も一緒だ。きっと町の人達も同じ思いだろう、と
仁は思っていた。だからこそ快にあそこまで言ったのだ。
町の状態に危機感を抱いてから仁はどうしたらこの状態を抜けられるのか
ずっと考えていた。そしてひとつの道を見出した。ただしその道を行くためには
快の覚悟だけでなく町の人達の覚悟がいる、どちらがかけても町は全滅するだろう。
その覚悟は道があるから進む、というのでは駄目だ。
道が無くても進む、というぐらいの覚悟が無ければならない。仁が見出した道は
道というにはあまりにも険しいものだった。

仁は、近いうちに彼らの覚悟が決まった時に必要になる、標を書き始めた。



このお話は前から書きたいと思っていた山国が独立する前のお話になります。
読んでいただきありがとうございます(2007.01.20)

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