始まりの日・松方編(黒田視点)



黒田は山国の南西に位置する大都市、夏至にある軍の施設を訪れていた。
先ほどから周囲の人間から伺うような視線が注がれているがまったく気にした様子は無い。
そんな彼の元に一人の男性が近寄ってきた。歳は黒田よりも上のようだ。

「すみません、お待たせいたしました黒田准将殿。」
「いや、こちらこそ忙しい所申し訳ない。」

申し訳ないと言う言葉が社交辞令であることがまる分かりな黒田の様子に男性は苦笑いをこぼした。

「それでは、こちらへどうぞ。」

男性がそう促し二人は応接間に移動した。

応接間に着くと男性は口を開いた。

「松方望に会いに来られたんでしたね。彼にどのような用で?」
「あなたには関係の無いことだ。」
「そうですか。」

男性は取り付く島も無い黒田の様子に腹を立てることも無く、ただ一言だけ言った。

「彼なら先ほど施設を出たそうなので、今は海岸にいるでしょう。」
「そうか、―――失礼する。」

黒田が応接室を出た後、男性は静かに呟いた。

「松方。お前の迷いが晴れることを願っているよ。」




黒田は海岸に向かう途中、伊藤の言葉を思い出していた。

「黒田、あんたに会って来て欲しい人物がいるんですよ。」
「誰ですか?」
「名前は松方望。凄い剣の腕の持ち主らしいですよ。」
「特別分隊に入れるんですか?」
「さぁねぇ?それはあんたが会って決めてきてくださいよ。」
「特別分隊はあなたの部隊でしょう。―――そんな無責任な。」
「ははは。まぁまぁ良いじゃぁないですか。」
「―――あなたが会って来いと言うのですから剣の腕だけでは無いのでしょう?」
「その辺は会ってのお楽しみ、ですねぇ。」

会ってのお楽しみ。その言葉に黒田は期待と不安が半々になる。
良い剣の腕の持ち主なら手を合わせてみたい。自分の殺気にも怯まない相手であれば
手合わせはなお充実したものになるだろう。期待が膨らむ。
しかし、伊藤の口ぶりからすると他にも何かあるのだろう。その辺は不安になる。
黒田は海岸へ足を急がせた。



黒田が海岸に着くと一人の青年がじっと海を見詰めていた。
じっと海を見つめたまま動かずやって来た黒田に気付いた様子も無い。
彼以外に人はいないので彼が松方望なのだろう。

「松方望。」

黒田は名前を呼んでみた。
その声で振り返り、青年はやっと黒田の存在に気付いたようだった。
しかし、驚いた顔をする以外は何の反応も無い。

「松方望、間違えないな。」

何も言わない青年に焦れてもう一度呼んだ。

「はっ、はい。」

「そうか。」

彼から返ってきたのは気弱な返事だけだった。
伊藤の言葉では松方望は凄い剣の腕を持っているという話だったのに
今、黒田の目の前にいる青年からそんな気配は感じられなかった。
先ほども黒田の気配に気付いた様子も無かった。
試してみるか。黒田はそう思い刀を抜くと松方に殺気をたたきつける。

すると、松方は剣を抜き黒田の動きを集中して追いはじめた。
自分の殺気に怯まないどころか、肌を刺すような隙を狙う気配に黒田の心は高揚して行った。
そして首を狙って動いた瞬間、自分の心臓に向かい一直線に剣が伸びてくる。

黒田は松方の首数センチの所でとまっている刀と自分の体ぎりぎりを貫いている剣を満足そうに眺める。

「良い腕だ。」

黒田が言う。

「―――せん。」

「何だ?」

松方の声が小さく良く聞き取れなかった黒田は聞き返した。

「すみませんでした。」

松方は絞り出すような声で言った。
今度は聞き取れたが何に対して謝られているのか黒田には分からなかった。
ただ今までの経験から手合わせの後、己の腕不足を謝ってくる人はいた。
今回もそれだろうと思い黒田は言った。

「今の勝負はなかなか良い勝負だった。
全く相手にならなかったと言う訳ではないから謝る必要は無い。」

「いえ、その。そういう意味ではなく。」

そういう意味では無いらしい。他に気にするようなことはあっただろうか?
まさかとは思うが、そう思い黒田は思いついたことを口にする。

「殺すつもりだった、と言うことか。」


「―――はい。」


「なぜ謝る。当前のことだろう。
松方望、お前は良い腕を持っている。さらに磨きをかければ―――」

そこまで言った所で言葉は遮られる

「私はもう剣を振るう気にはなれません。
俺はあなたに憧れて軍に入りました。最初はただあなたの様に強くなりたかった。
しかし、最近は剣を振るう事が怖くなりました。」

「私の剣は、守るべきものの区別も付かない―――」

松方はそういうと口を噤みうつむいてしまった。
分からなかった、そして言葉から人の感情を読むことが苦手な黒田は
俯いてしまった松方が何を思っているのかより一層分からなくなった。

「松方望、お前が何を言いたいのか俺には分からない。
―――腕を磨け。その力は誰にでもあるわけではない。」

松方はその言葉を拒絶するように視線を下に向け続けた。

「松方望、軍の基本理念を言ってみろ。」

ずっと下を向いていた松方はその問いかけに顔を上げた。
やっと合った松方の目には怯えばかりが映っていた。
口で言うときつい言葉になってしまうだろうから、なるべく静かに目で促す。

「"人を思え"です。」

松方の口からその言葉が出たことに少し安心する。

「そうだ。―――先ほども言ったがその力は誰にでもある物ではない。
力を持たない人たちのことを思えば、自分の力を磨く事をためらうなど、理解できないな。」
「その力が、大切なものを傷つけるとしてもですか。」

「なるほど。先ほどから何に怯えているのかと思えばそんな事か。」

松方の目に揺らいでいる感情を見て、何に怯えているのか黒田はようやく理解できた。
そして今松方は無意識に自分を止めてくれる人物を求めているのだと感じた。

「松方望、俺の剣になれ。余計なものを傷つけないよう俺が納めておいてやろう。」

そう言った後、黒田は自分の心が晴れていく感覚があった。
力の裏に潜むモノを忘れない松方が側にいれば自分もそれを忘れずにいられる。
松方が自分の力を止めてくれる人物を求めているのと同じように、黒田は力を求めすぎることを
止めてくれる人物を無意識に求めていた。
伊藤の言っていた会えば分かる、特別分隊に入れるかどうかは自分で決めろという言葉の意味が分かった。
一方そういった事情をまったく知らず、まだ何の説明も受けていない松方は困惑した表情を浮かべていた。

「お前の力、守るべきもののために振るってやる。
俺の元で安心して腕を磨け、いいな。」

黒田は詳しいことは後になれば分かると思い、松方に特に説明せず戻ることにした。



松方君が特別分隊に入るきっかけの出来事の黒田さん視点でした。書いていて思ったのですが黒田さんてかなりの
わが道を行くタイプですね。というか私の書く人はそんな人が多い気がします。
この作品の別名は"上司は見ていた"ですね。最初に黒田さんと話していた人は松方君の当時の上司さんです。
伊藤さんも松方君の上司さんも彼らに足りないものがちゃんと見えていたんだよー。という事と黒田さんにとっても松方君は
補ってくれる存在なんだよーとかが書きたくて書きました。上司は見ていない様で見ているものです。
読んでいただきありがとうございました。(2008.04.29)


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